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理系とか文系とかいつまで言うのだろうか?

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このことは、前々から私の中で思っていたこと。それはタイトルの文系とか理系という区分の仕方について

社会人になって何十年も働いてきても、俺は文系だからとか、理系だからっと言う人がいたり、文系的な考え方だねとか、理系的な考え方だねとかいう人も居る。
あんまり言い過ぎて、これって、男女差別とか人権侵害になるんじゃないの?的なディスる使い方をする人も居たりしてね。

ただ、私の中では実は凄くしっくり来ない部分が昔からあってね、文系とか理系のカテゴリって、高校2年生くらいからの、選択科目の取り方で決まって、その選択で大学を学部を選択して、4年とか数年間を勉強したカテゴリで決まってる。
もろちんその先も、研究者としてその世界の勉強を深掘りする人も居るけど大抵の人はそれで、一生、文系・理系というカテゴリ分けされる。
中間色なんてない、いわばLGBTなんて許さないなんて世界だ。

色々なことが多様化してる世の中でなぜか?このカテゴリがずっと生き残っているのかそして会社の採用とかでもカテゴリ分けされるのか私はずっと疑問に感じていてね。
経済学が好きな科学者がいてもおかしくないし、物理学好きな法律家がいても全くおかしくないのにって、私がこのLGBTみたいな部分があるから余計にこの事に疑問を感じてる部分はあると思うけどね。

今後AIはどんどん進化して、よく言われてるのは、少し前の話だけど、2011年度に小学校に入学した子供の65パーセントは今ない職業に将来就くとアメリカの研究者が発表したことは有名な話だけどね。

AIが進化したら、よく事務的な単純作業は仕事を奪われるみたなことが言われてるけど、研究職も、あらゆるパターンの組み合わせはAIが行って、その結果を研究者が行うことになる時代になるから、ある意味AIの下請け作業なる人達が沢山出てくると思ってる。

そうなると、今後求められる能力は、文系とか理系とか関係なくAIの苦手な臨機応変な対応力や新しい発想力・表現力が求められる時代が来ると思うんですよね。
そう思うと、能力的にはLGBTのような中間色的に両方の分野を見渡せて物事を考えられる人が求められる時代が来ると思うのに、いつまで、文系とか理系というカテゴリにこだわってたりするんだろ?と思ったりします。

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