ランニングブームが下降線っていうところだけど、日本陸連がこんな企画を立ち上げた
2040年までに、ランニング人口2000万人を目指すらしい…
今のランニング人口ってどれくらいなの?思うかも知れないけど、現在のランニング人口って週1レベルで1000万人をかなり割ってるみたい。
ランニングブームに乗って走り出した人達もそこそこの年齢になってリタイアして行くと思うから、22年後の目標で、2000万人はかなりハードルが高い気がするけど…。
そんなことを最近のニュースを見て思ったけど、今回はこの事を掘り下げる話ではなくてね。
市民ランナーの中には、一定の割合で、
「子供の頃には運動が嫌いで体育の時間が嫌いだったのに…」
とか
「文化部出身で運動とは縁がなかったです!」
「そんな私が!!!」
なんてことから、走ることの素晴らしさを語ってる人が居がいて、走ることは誰でも努力すれば早くなれるって語っていたりする。
そんな人達の決まり文句で、子供の頃は、運動が苦手だったから…という言葉がある。
私も何で?子供の頃にマラソンを嫌いになるのか?ということでこんな記事を大分前に書いたことがある。
要するに、マラソンは罰ゲームだったからではないか?という考え方だけどね。
今でも、これも嫌いになる原因の一つだと思っていることに変わりはなけど、最近、小学校の近くを走っていて思ったんですよね。
それは、速く走れることは凄くって、ゆっくり走ることはダメで格好悪いっていう価値観があるからじゃないか?って。
そもそも、速くって何?ゆっくりって何?って考えたときに、本来ならその価値観の評価が自分にあるべきことなのに、他人と相対的に評価されることが問題であってね。
でも、この問題点の克服のために、学校は順位をつけることを止めたりし始めたみたいだけど。
私が個人的に思ったのは、順位は順位であって良いと思うんだよね、社会で結果を求められることって絶対にあるから、その順位とは別で、自分で自分を評価する取り組みを入れたらどうか?って
今日の自分はどうだったか?という自己評価の取り組みをね。
大人になって走ることにはまる人の多くは、自己評価による自己満足がモチベーションだからね。
まさに、マスターベーションにはまってるのと一緒の状態だから。
マスターべーションを他人と比較しないように、自分を認めて評価するっていう教育って今後必要な気がするな…って、思ったりします。
自分で自分を認めるって多分、メンタルの安定にも繋がると思うから。
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