親が出来ること。

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全国的なのか、関東だけなのかわからないけど、雨がよく降りますね…
雨が降ると走れない!と嘆くのに、晴れると走らないと…と意気消沈するランナーは多いと思うから
走るのが好きなのか嫌いなのかどっちなんだよ…って思ったりもしますけど。
私もその一人で、今回も記事の内容もそんな走っている間に頭に浮かんだことで、走ることはにはあまり関係のない話。

先日、子供の学校の保護者会に参加してきました。
その中で、この先の進路等の選択の話しを聞いてきた、もちろん親が準備する費用面の話しとかも聞いてきた。

そんな話しを聞いてから走ったせいか、子供達のことを考えて走ってたときに思ったこと。

私には息子と娘の2人の子供がいる。
ともに来年、何らかの選択をしなきゃいけない年頃にさしかかる。

親として思うのは、その選択の際に経験者、そして社会を見てきた目からアドバイスをすることだと思っていた
ただ、どうしても頭に浮かぶのが選択しようとしてる先にある困難や、社会の厳しさ大変さばかり、そんなことを伝えようとするとネガティブな言葉でしか表現出来ない。

しかも、同性の息子は、本当にこの先社会でやって行けるか?と弱々しいさばかりが目について、ネガティブな部分をより強く強調してしまう。
娘は、可愛いいので逆に苦労させたくない安全策の視点ばかりで見てしまう。

走りながら、ポジティブなことを伝えられない私は、こんなんじゃ親としてダメだな…と思って走ってるいると、ふと自分のことを振り返ってみた。

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私もこれまで生きてきて何回か選択ということを経験してきている。
でも、高校でラグビーを始めたことも、就職先、結婚までも、実は全部事後報告…。
要するに、親からのアドバイスが自分の選択の判断に邪魔をするのがイヤだったんだと思う。

そんなことを考えてみたら、世の中の大人は全て、誰かの子供である。
もし、そんな子供が常に親からのアドバイスをまともに受けて大人になっていたとしたら、そんな大人が繰り返されて進化して行った世の中が今だとしたら
立派な大人だらけの社会が出来上がっているはずである。
でも、実際、たぶん何も大人の社会は進化していない。

何でだろう?と考えた、経験のないものにアドバイスだけを聞かされても何も伝わせないし、結局、社会には、経験でしか学べないものが多すぎるからだと思った。

そう思ったら、親が出来ることって、親が親目線で子供に出来るだけ苦労させたくないと思って選択肢の枝を切り落として行くのは結局は親のエゴではないかと…、
経験しないと学べないものが沢山あるなら経験して学ばせることの方が親として正しい姿ではないかと。

結局、親は子供が進もうとしてる方向の後方支援しか出来ない、先導することは逆に子供に経験の機会を失わせるだけかな?と…
だから、子供が、選択した進みたいと思う方向に進ませることが出来るように、親として出来る後方支援の準備を親はするしか出来ないんだな…とダラダラと走りながら考えたお話でした。

でも、本当に子供を持っていつも思う、自分の親は越えられないと…本当に。

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