私はどれだけの間違いで出来上がっているのだろうか?と思うこと

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学生のときは、出された問題に正解があって、それを導き出すことを学んでそれが身についたかで評価がされて、後になってなぜ間違えたかを考えて育ってきた。
しかも学生のときには間違えた答えを出した場合には、周りの人が訂正までしてくれた。

社会人になると、ほとんどのことに正解がなくて、初めのうちこそ、自分が導き出した答えが正しいのか間違っているのかもわからなくて、出した答えをあとから振り返って正しいのかな?と考えてたりもしたけど
結局、正解もどこにもないから、自分の出した答えが正解だと信じて、振り返ることもしなくなって、自分の考えた通りに行動することになってくる、それが大人になって自分に行動に責任を取るということなのかもしれない。

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そんな生活をしている私が、ここ数年前に勉強を開始して、試験等を受ける機会が多くなった。要するに、学生のときと同じ、正解がある世界に戻ってきた感じだ。

そしてこれまで色々な種類の試験を受けてきたけど、必ずあるのが、試験が終わった帰り道に、ぼーっと試験を振り返って、まだ、模範解答も他の人の解答も見たり聞いたりしてない状態でも、自分の答えを振り返って、その間違えに気付いて、ウォーって叫びたくなること。

要するに、試験中は自分の答えはこれで正しいと導き出したものが、振り返ってみると自分でその間違えに気付いて、悔しさと後悔が入り交じった気持ちになる。これがどんなに注意してても試験のたびに発生して、心に強くダメージを与える。

そんな正解のある世界に戻ってくると、大人の世界で、自分の考えだけでこれが正しいと思って生きていると、本当は沢山の間違えをして生きているんだと思う。
そして、振り返らない日々を送っていると、いつからか自分の判断は常に正しいと、正義の剣のように振り回す人間になってしまうのではないかと思う。

でも、試験の後の、あの叫びたくなる気持ちはあまり味わいたくないんだけどね…。

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