昨日、光浦靖子さんのこの記事を読んで、私は凄く共感を覚えたし、同じような歳になると同じようなことを考えるのか?とも思った。

自分がどうして周りのみんなのように器用生きられないのか?とか、器用に生きてる人を見て羨ましいと思ったことのある人なら、何か伝わってくるものはあると思う。
私もそんなことを感じる一人でね、自分に足りない部分について、自分を常に責めたり、劣等感を感じたり、そんなこと感じてるそぶりを全くみせないように、隠したり、避けたり、逃げたりしてね。
今の時代なら、こういう症状に病名を付ける人は居そうだけど。
でも、年齢のせいかな?、私も光浦靖子さん全く同じようなこと考えていてね。
私の周りには色々なことに長けている人達が沢山いる。
走ったら、サブスリーどこから、サブ50とか45とかそんなタイムで走れる人や、勉強についても、1ヶ月の勉強とかで難しい試験に合格しちゃったり、語学にしても結構普通に英語とか話せる人が沢山いたりしてね
私は、走ってもさして速くなれなかったし、勉強もさほど難しいくない試験に向けて、かなり時間を割いて勉強してそれでやっと合格するタイプ。英語については、光浦靖子さんと一緒で避けて避けて避けまくって生きてきた。
そんな自分をやっとこの歳になって、それが私なんだと思えるようになってきた。そしてそんな一つのことも長けてない自分を受け入れて、一つのことを突き詰めることを止めた。
走って速くなることよりも、走ることを移動の手段として他に目的にを持つことにしたし、勉強も、難しい試験よりも、広く浅く色々な分野の勉強をすることに切り替えた、英語については、もう一度中学生英語からやり直し始めた。
そして、一番考え方が変わったのが、そのこと全てが、何かのためや誰かのためじゃなくて、自己満足だけだということ。
仕事にも関係ないし、誰かに期待されてやってる訳でもなくて、それを発揮する予定も今のところはない、勝手に自分で目標を掲げて、そこに向かって自分の脚で進んでるだけ。
誰かと比較したり、期待されたりしてないから、器用、不器用もない、自分が努力すれば前に進むだけ、それ以上でもそれ以下でもない。
もしかしたら、何が楽しくてそんなことしてるの?と思う人も居るかもしれないけど、これが今の私には結構楽しい。
マラソンを走ってるときに、トップはゴールしたことを羨ましがることよりも、自分が走って前に進むことに充実感を感じた方が楽しいからね
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