実は私のFaceBookこの1年くらいに3件の投稿しかいていない。
その3件は、1つは3月にちはやふるの結びの映画を見たとき。
もう一つは、中山道”風の旅”に出場したとき、そしてもう一つは、甲州道中”鳥の旅”についての記事を掲載したとき。
風の旅と鳥の旅の記事については実は掲載する気はあまりなかった。
ただ、風の旅の2週間前くらい前に、大学のラグビー部の同期会があった、そのときに最近、FaceBookにウルトラマラソンを走ってるのを投稿してないけど走ってるの?って聞かれた、
そして、まだ頑張ってる奴が居ると思うと勇気を貰えるんだよねって言われたので、じゃあ、超ウルトラマラソンを走ったときだけは、古くからの仲間への生存確認の為に掲載したものである。
ブログの存在は知らないということもあるけど…。
それ以外の記事は、全く掲載してなくて、ROM専門で皆さんの投稿を拝見するだけで、ほとんどコメントも書き込まない状態。
実は、その前は、もう少し日常のことや大会の結果とかも書いて掲載していた。
それが、今ではほとんど書かなくなったことには色々と理由がある。
先に言っておきたいのは、ここから書くことは、FaceBookに書き込んでる人を決して否定するつもりはなくて、逆に私の病んでるっぽい面倒臭い性格が災いしてのことと分かっての掲載だけどね。
投稿しなくなった原因の前提にもちろん、皆さんに披露するような素敵な日常を送ってない!というのが一番大きいことはある。
とはいえ、私だって毎日ゾンビのように意識なく生きてる訳ではないなので、色々と起伏はある。
そういうことをFacebookに掲載しようとすると、自分の出来事の中から自分で選んで記事にするので、思い入れを込めようとして、自分の感情が前に出る記事しか書けなくてね。
要するに、読んだ人が着地点を探すんじゃなくて、自分が決めた着地点に向けた記事を書いてしまう。
そうするとね、コメント機能で、「あめでとう~」とか「すごい!!」とかのコメントを頂ける、すると嬉しい感情が前面に出たもっとみんな褒めて~みたいな文章を書いてしまう。
逆に、慰めて~の文章もあるとは思うけど、いずれにせよ、着地点をこちらが示した文章を書いてしまう。
ただね、そんなコメントも病んでる私の心には、みんなからお褒めの言葉は、逆に「上には上がもっといる」「もっと凄くて頑張ってる奴らは沢山居る」という劣等感を逆に強くさせるし、慰めの「たまたま調子が悪かっただけだよ」とか「仕方がないよ」とか言われると、より惨めな気分になったりしてね。
自分が示してしまった着地点に、素直に皆さんが打ち返してくれたのに、その言葉でダメージを受けるって何?と思ったり…。
それともう一つ、私はブログを投稿するときもそうだけど、出来れば読んだ人が様々な受け方が出来る記事を書きたいと思ってる。
だから、賛美両論出て当然のスタンスで記事を書きたいなと思ってる、着地点も様々なところに着地して欲しいと思って記事を書きたいと思っているけど、たぶんそのスタンスでFacebookで記事を書いたら、何が言いたいの?何をコメントして良いの?という感じのそれこそ周りの人に病んでるよ…と言われると思う。皆さん、小さい頃から国語をやってきたから作者の気持ちを読み解くのは得意なので、逆に作者の気持ちの方向性が分かりずらい文章は苦手だと思いますから。
それに、投稿者の着地点が決まった文章を投稿するのがFaceBookの文化だと思うから。
だから、このブログの記事も好きにみんながとらえてくれれば良いと思ってるし。
着地点どころか、全く意味不明と読んだ人が悩んじゃうくらいのtwitterの方が性に合ってる気がします。
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