多様な価値観で不惑どこか色々迷う壮年心。

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記事のタイトルが色々詰まりすぎてしまって、サイズを間違えたブラジャーのように溢れ出してる感じはあるけど。

40歳を不惑というよね、「論語」に書かれてる孔子の言葉で

「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」

の中の「四十にして惑わず」から40歳を不惑というらしいけど、「四十歳になって、道理も明らかになり自分の生き方に迷いがなくなったということ。」という意味らしいです。

ちなみに、孔子はこんな人ね。湯島聖堂の銅像だけど。

私は、もう「天命を知る」という年齢に近いけど、最近の私は、逆に迷いが沢山生まれてきている感じがすること。

その理由は、世間の価値観が多様化してきたことと、私自信、年齢とともに色々と見えるものが多くなってきたことが原因だと思う。

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自分の価値観を持とうと、色々な価値観に触れてみようとすると、

マラソンの世界も色々な価値観が生まれてるよね、タイムを気にする人、仮装をする人、裸足で走る人、ジャーニーランが好き、トレイルが好き等々、本当にきりがない。
どれかの価値観が強くなりずきちゃって、他の人の価値観を排除しようとする人もたまにみかける。

仕事に対してもそう、出世を志す人、自分のペースで仕事を望む人、給料を望む人等、全ての人が自分の価値観を正当化するように話すからね。

生き方にしてもそう、結婚を望む人、子供を育てる人、独身を貫き通すこと。

多様な生き方が認められて、多様な価値観が生まれて、全ての価値観が正解の時代だからこそ、逆に、自分の価値観を模索しようとしたときに、価値観を決める価値基準を見失うという時代になっているような気がします。

なんで?いきなりこんな話をするかって、私はたまに、このままで良いのか?これで良いのか?とか、無駄に時間を使ってないか?何か積み上げられているか?とかって自問自答することがあるんですよね。
そんなとき、ふと自分が持っていた価値観が不安になることがあってね。春だから余計に。

ただ、一つだけこれは正解だと思うことがあって、自分の価値観は自分の中の価値観であって、その価値観を他人には押しつけてはいけなくてね。
ツイッターとかで違う価値観に触れたときも、勝手に自分の価値観を否定されと感じることも間違ってることだと思ったりもしてね。

なんか、気難しい私みたいな奴は、こんなことを繰り返して、じじぃになって行く感じなのかな?
何も考えないで、生きていけるタイプにはなれないみたい。

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