優しくなった世の中でなんだか気付いたり出来る人が負けみたいなモヤることってあると思う。

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市民ランナーの走ることは、実に単純だ、走ることも、走ることを止めることも、ほとんどの人は誰にも迷惑はかけず、自己完結する問題だ、そんな問題にも関わらず
止めようとしたり、練習量が減ったりすると、なんか自分の中で罪悪感が生まれて、その罪悪感で自分勝手にもがき苦しむ訳だけど、気持ちがわかるランナー同士なら、同調して寄り添ってくれるだろうけど、ランナーじゃない人からしてみたら、今日、マスターべーションをするかしないかを悩んでるだけだぞ!と思われてると思う。

と、無理矢理ランニングブログらしく、ランニングの話題を冒頭に突っ込んだけど、実はね、今回の本題もランニングとはほとんど関係がなくてね。
最近の世の中は、色んな意味で、優しくなったな…と思うんですよね。

「辛かったら、逃げてもいいんだよ」 なんて、言葉を耳にすることも多くなった。
「生きる手段なんていくらでもあるんだから、辛い思いをしてまで頑張る必要はない」なんて言葉を目にしたりもしてね。

辛いとき、気持ちがわかる優しい誰かが、寄り添ってくれるんですよね。
こういう言葉のお陰で、心が救われている人も沢山いると思うからね、本当に辛い人や苦しい人は、こんな助けを救いとして少し前を向いて欲しいと思うんですよね。

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ただ、こういう言葉だけが一人歩きしちゃうと、少しモヤることがあってですね。
社会っていうのは、誰かがこれをやらなきゃいけないということが必ずあってね。
当たり前だけど、自分の好きなことだけをやって、社会が成り立ってる訳ではないですよね。

だから、もし誰かが投げ出したことを、他の誰かがやらなければならない、辛くて投げ出した人には寄り添ってくれる人達が居たりするけど、投げ出されたものがあることに気付いたり、その投げ出されたことが出来る人だったり、知らん顔できなかったり、そんな投げ出されたことを誰にも見えないところで、誰かがやることになるんですよね。

そんな人には、もちろん、誰も寄り添ってなんかもらえなくて、色んなことがどんどん積み上がって、その人が潰れて投げ出すまで、積み上がる。
結局、世の中は、投げ出したり、気付かないフリをしたり、出来ないアピールをした方が、楽に生きて行けるのでは?とそう思いたくないけど、思ったりして、凄くモヤモヤすることがあるんですよね。

世の中色々な面で、優しくなった部分もあるけど、優しさの裏側の見えない部分で抱えるものが増えてる人達がいる訳で、自分の場所から見える景色が全てではないことは、いつも頭に入れておく必要がるんだと思うんですよね。

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