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40代中頃の私が考える走り続ける意味。

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今日は富士登山競走の日ですね、この大会にかけて試走を繰り返してきた人も沢山居るとは思う。
そんな人達が考える走り続ける理由は、きっと記録への挑戦や自分の限界への挑戦なんでしょうね。

走り出したきっかけがそれぞれあるように、走り続けてる理由もそれぞれあってある意味それがモチベーションということなのかもしれないけど。
私は、ご存じの方も多いと思うけど、記録更新!!なんてそこまでのストイックなランナーではないからね。
そんなレベルの私が、ふと40代中頃になった今、私が走り続けてる意味って何だろう?と思って考えたことを書こうと思う。

私が走り出した30代後半のときは、まずは弛んだ身体を絞る為。
次第にタイムに意識が行くようになって、記録更新を狙って走ってね。
たぶん、このパターンはランナーあるあるで多いと思う。

そして、走り出して9年目、さすがに記録もそんなに伸びなくなって、そんな時期の私が考えた走り続ける意味になります。

私が考える40代中頃って、それまで積み上げてきたものの差が歴然と出る時期のような気がする。
昔一緒にラグビーをやってきた仲間も、久しぶりに会うと見る影もないくらい、体型も頭髪も変わってきていたりしてね、中には持病の話までする奴まで現れる。
仕事でも、ある程度の地位まで上がっていたりする人も居てね。

何かを意識して今まで生活してきてそれまで積み上げてきたものの差って、これから必ずくる50代、60代…になると、もっとこの差は広がって行くと思うんです。

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しかも、今後は体力も筋力も確実に下り坂になって行く、何でもやれば自分に返ってきて無限の可能性があったような年頃は終わって、何を始めようにも消極的な選択でしか物事を決められないような年代に向かって行くと思う。

なんだか、こんなことを書くと、50代、60代は絶望しか感じてないと思うかもしれないけど、そんなことはなくて恐らく50代、60代になったらまた別の楽しみが待ってるいるんだと思ってる。
ただ、それまでに積み上げてきたものの差で、その先の楽しみ方の選択肢がぐっと減るのではないか?と思っている。

だって、体力がなければ旅行にも出かけられないし、健康でなければ美味しいものも食べられない。
このことの意味って、当たり前の健康だったり、体力がある頃にはたぶん気付かない、必要だと思った頃には遅いというものだと思う
もちろんお金もそうだけど、これが一番積み上げられないかもしれない…(..;)。

そう考えたときに、この先何年生きられるかわからないけど、その生きている間の楽しみ方の選択肢を増やす為に、私は走り続けてることに意味があることをこの歳で先を考えたときに感じてる。

将来の選択肢は、今からの積み上げて作ることが出来るんじゃないか?ってそんなことを思ったりする訳です。
だから、燃えかすになってる場合じゃないんです。炭のように消えてるようで熱く生きないと!

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