結構前から、大きな身体の小さな心で悩んでいたことがある。
それは、走ることが面倒臭くなることがある。
走った方が気持ちも身体もスッキリするし、自分が目標にしてることに近づけるし、今まで積み上げてきたものに上積みできるし。
走った方が良いことはわかっている。ただ、走る直前になって、これから何キロ走れば何時間くらい自分と格闘しなきゃいけないし、その時間でゆっくり出来たり何が出来たりって考えてしまって凄く走ることが面倒臭い気持ちになってしまう。
前に何かで目にした事があるけど、嫌なこと、苦手なこと、面倒なことでも、でもやらなきゃいけないこと、やった方が良いことをやるときには、朝起きたら、顔洗う、歯を磨くとかと同じように、意識しないでも行えるように、生活の一部としてルーティン化した方が良いらしい。
私も仕事のペースが変わってから、何とか走ることについても、このルーティン化出来ないかと思って前々から思考錯誤してるのだけどなかなか出来ていない、おかげで数年前より、走行距離も練習内容も落ちている。
たぶん私がルーティン化するなら、走る曜日をあらかじめ決める
仕事が終わった、時間で、練習距離及び負荷を決めておく。
それに合わせて無意識に走る…のが一番良いと思うんだけど、実際はその前の環境という点でひっかかってるのが現状。
仕事上がりに、ランニングステーションでお金払って走るというのが、せこいと思うかもしれないけど、ストイックに走れば走るほど余計な経済的な負担がかかるというのが私的にはあんまり納得がいっていない。
しかもランニングステーションは混んでるときは、走った後のシャワーでも並んで待つくらいだし…
かといって荷物を背負って走ると、今時期は、特に荷物が多い正直4kgくらいある、練習の質も落ちてる気がしてね…。
しかも皇居以外のコースを走ると信号待ちが多くて、これって効果あるの?と自問自答しながら走ったり。
だから、昨日のブログにも書いたように、イルミネーションを見に走ったり、走るきっかけの理由付けをするような事ばかりしているのかもしれない。
ストイックに毎日、毎週のように、練習の質にこだわって練習できるって人って、環境も恵まれてるしルーティン化出来ていて羨ましいなって思う。
ある意味こんな苦労も全部ひっくるめて市民ランナーなのかもしれないけど、私のこのルーティン化への道のりはまだまだ続きそうです
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