たぶん、これから書く内容は、タイムを気にせずウルトラマラソンにはまっちゃうような年齢の人しかわからない感覚の話かもしれないけど
人生も後半戦に突入してくると、先のことを色々と計算するようになる。
例えば、子供の学費の支払いが何歳までとか、仕事の定年まで何年、その後、再雇用で働くかとか、何かスキルを生かして自分で何かを出来ないか?とか、家のローンは何歳で終わるとか、老後の生活費についてとか、そんな計算と一緒に、自分の体力や物事に対する情熱とかも考えしまうことがある。
そんな先の計算で、常につきまとうことがある。それが「老い」だ。
走っていても、もちろん以前のようには走れなくなってきている、それは体力的な要素もあるけど、気持ち的にも以前のように自分をやる気にさせる燃料が足りなくなっていることを感じる。
それは走ることだけじゃなくて、勉強をしてても、この勉強を生かせる時間は残されていないんじゃないか?とか、だったら、この時間を遊んで過ごした方がいいのではないか?思うこともあるし、
他にも、異性への興味だって以前のように理屈じゃなく惹かれるなんてことは感じることもなくなってきた。
こんな風に、「老い」によって、変わった変化の内容を羅列すると、どうしても、以前は出来ていたことや、強い興味を持っていたことに対して、出来なくなったり、同じ気持ちを維持できなくなったり、ついついマイナス的なイメージで「老い」を受け止めがちになる。
恐らく、そんな「老い」を感じることは今後はますます増えて行くんだと思うから、「老い」を楽しむことは出来ないか?と考えてしまうことがある。
そのために絶対に必要なことは、価値観を変えることだと思う。
今までは、より自分を伸ばすことを意識して達成感を感じることが価値観であったけど、きっと、今後はその努力の過程を楽しむことを大切にした方が、楽しく生きて行けるのではないかと思う。
例えば、走ることにしてもそうだ、目標のタイムに向ける達成感より、走るという過程を楽しむように走る、昨日の記事のスタンプラリーで走ったりするのもそうだし、その過程で歩くことがあっても、出来なかったことを探すより、出来たことを数えるような楽しみ方すればね。
勉強もそうで、知識を活用することも大事だけど、その蓄積すること自体を楽しむみたいな感じでね、なかなか知識が定着出来ないことがあっても、だったら、どうしたら定着するか?を試行錯誤したりして、その過程を楽しむ。
異性に対しては…ここで書くと、あらぬ誤解が生まれそうなので、異性に対しての過程を楽しむのは、おのおの考えてください。
そんな感じで、きっと、今後は「老い」の中で、以前は出来ていたことが、出来なくなることが多くなる。
そんな中で、出来なくなったことを嘆きながら生きていく生き方はしたくないな…と、そのためにも、価値観の変更は必要だと思っています。
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コメント
COCOAさん久しぶり。シルバーです。コロナで3年ぶり、ウルトラはしりました。
秋田内陸チャレンジマラソン、50㎞の部です。
大館市の仲間、6人とはしりました。天候さわやか秋晴れ。
にもかかわらず、全員DNFでした。
シルバーも、38kmで、6時間関門手前でDNFでした。
どうやれば、完走できるかわからない…、教えてくださいよ・・・。
シルバー さん、ウルトラにまだチャレンジしてるだけでも、尊敬します。
完走できなくても、楽しく出かけて、楽しく走れればそれれでいいんじゃないですか?(笑)