世の中の為には、普通のおっちゃんやおばちゃんが頑張ることに意味があるんだと思うのです。

この記事は約3分で読めます。

数日前の記事にさいたま国際マラソンの記事を書いたけど、さいたま国際マラソンを沿道で見ていて思ったことなんですけどね。

沿道で見ていると、当然ですがトップランナーがやってきます。
まぁ~綺麗なフォームで速いです、本当に走るために絞った身体というかスタイルも良い。

トップ集団から離れて、外国人の選手や吉田香織選手もやってきてね、市民マラソン大会じゃない雰囲気を醸し出してくれる。

そんな選手達の通過の後に、結構時間が空いてから、市民ランナーのエリート女子のような選手達がやってくる。

そんな、トップアスリートの方々と、市民ランナーの方々を続けて見てる状況で思ったことなんですが…

トップアスリートの方々を見てるとある意味スポーツ観戦感覚なんですよね、いつもテレビで見てる景色が生で見られるっていう感じに近い感覚。

その後の市民ランナーの人達を見てると、正直、スピードもトップアスリートの方々には劣るし、体型だって締まってない感じはしますよ、でも、何か伝わってくるものは、市民ランナーの方々の方が伝わってくるものがある、この大会にかけてる思いだったり、走ることを楽しんでる気持ちが全身から伝わってくる感じがしたんですよね。

広告

そんな市民ランナーから伝わってくるものから、トップアスリートを見ていたときと違って、少し涙ぐんだりしちゃったりしてね。

これは多分、私と同じように、普通の人が頑張って目標に向かって努力してる姿だからこそ、心が同調して感じる部分があるんだと凄く感じてね
普通のおっちゃんやおばちゃんが頑張ることこそ、何か他の人に伝わることってあるんじゃないか?と思ったんですよね。

例えばね、俺みたいに、身体が大きくて、体重が重い奴が走っていたら、走れる体型かよって思う人の他にも、あの体型で走れるなら、俺も、私もやってみようかな?と思う人は居ると思うんですよね。
他にも、子供が居る家庭で、もし親が何かに向かって努力してたら、子供も何か努力しなきゃいけないなっていう気持ちになったりするんじゃないかって

だから、世の中に一番影響を与えるのは、もう努力という言葉忘れそうな、普通のおっちゃんやおばちゃんが努力してる姿を見せることんじゃないかな?と思った訳です。

ということで、俺が走る姿は、多くの人に夢と希望を与えてるはず。

↓↓ブログランキングに参加してます。応援クリックをお願いします にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへ
にほんブログ村 その他スポーツブログ 超ウルトラ・ウルトラマラソンへ

タイトルとURLをコピーしました