社会には食物連鎖のように、立場的に強い者、弱い者が居て、弱い者は時には、多少理不尽だと思う事も、じっと我慢をして受け入れたり、立場的に強い者は、勘違いを始めて利害関係があるから強いだけなのに、自分自身が強くなったと思い始めたり。
長い間、そんな生活をしてる大人は、そんな外的要因で作られた立場が本当の自分の格付けのように勘違いし始めて、横暴に振る舞ったり、弱く感じる立場を嘆いたり悔やんだり。
もうその世界でしか生活してない人は、もしかしたらその外的要因の格付けを失うまでその事に一生気付かないで、外的要因を失ったときに初めて、勘違いに気付くのかもしれないと思うけど。
そんな事を考えたとき、ふと思い付いたのはマラソンで、マラソンはなんて平等何だろうって、同じスタート地点に並んで、同じ距離を走って、誰の手助けも借りちゃダメで、どんなに嘆いても、フィニッシュしたければ、一人で走り続けなれならい。
地位や立場や環境なんて関係ない、タイムが速い、遅いなんて関係ない、精一杯走れば誰でも同じように苦しいし辛い、けれどもそれを乗り越えたときの達成感や充実感も平等に与えられる。
だからかな?マラソンで知り合った人達は年齢や性別、社会的な立場とか関係なく、仲間と感じる事が出来るのは。
同じに気持ちを共有出来て、大会で同じペースで走ってる近くの人達を競争相手なんて思った事は全くなくて、知らない人でも同志だったり、運命共同体と感じたり。
仕事が全ての生活をしていたときは、無駄に人間関係を広げる事が苦痛で仕方なかったけど、最近は、ランナーの人間関係を広げるのは悪くないな…って思ったりもしています。
今日は、難しい事を書いてるな…!(^^ゞ
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