大人になって本当に将来を考えて行動をしたら何も始められないのではないかと思ったお話。

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昨日ある人とお酒を飲みながら話をしていて、ふと考えさせられたことを書こう思う。

その人は40歳近くで仕事で海外赴任をしていたときに、休日に海辺でやってるサーフィンを見ててやって見ようかな?と思って、サーフィンを始めたらしい…。
しかも、その地域では、普通に若い女性がサーフィンのやり方をサポートしてくれて教えてくれたりして、下心もあったのかもしれないけど、それからサーフィンを始めて、日本に戻ってからも休日は、早朝の日の出と同時くらいの一番人が少ない時間を狙ってサーフィンに出かけて、海は良いよって語ってた。

その人が、たぶん40歳近くになって、日本に居て、湘南とかに出かけてサーフィンをやろうとは絶対に思わなかったと思うから海外で出会えて良かったと語ってた。
その理由は、日本のサーフィンは若いお兄ちゃんや年配でも熟練の方々ばかりで、何も知らない40歳近いおっさんがその中に入って行くにはあまりにもハードルが高すぎるし、その中に入っていく勇気はないとも語っていた。

私のその話を聞いて、何かを始めるときのきっかけって、本当に偶然の固まりで、ふとしたタイミングの思いつきで、その思いつきを難しく考えずに実行しちゃった結果なんだろうな?と思った。
もちろん、仕事とかで差し迫った状況でやらざる終えないものは別だけどね。

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このブログを読んでる人の大半が市民ランナーだと思うけど、そんな人が今になって思えば、走り出した本当の最初なんて、将来こうなりたい!という強い決意を持って走り出した人って少ない気がするんだよね。
最初はただ何となく走って、徐々にいつ間にかにはまっていってしまった感じの人が多い気がする。

そんなことを考えていたら、大人は子供に、将来を考えて行動しなさい!とか言うけど、将来の先が見えた大人は、将来なんて考えて何かを始めていたら、全てのことがスタート前から否定されるような気がした。

例えば、今から10年かけて何かを身につけても、それは使う頃には○歳だよ!意味がないとか、どんなに頑張っても若い人には敵わないんだから!とか、今更一生懸命努力するなんて格好悪いとか思っちゃったりしたりね。
私も走ることの他に、仕事とは全く関係のない勉強を始めた。
最初はハードルが低いけど、数年かけて高いハードルを狙って行きたいと思ってる。
それを始めようと思ったときも、思ったね。仕事に関係もなくて、それを発揮するフィールドもないのに、何で勉強するのか?と自問自答くりかえしていだけどね。

昨日の話を聞いて気付いた。
将来を計算して考えれば考えるほど何もする気が起きないのなら、多少馬鹿になって目の前しか見ないで、がらくたでも足下に何かを積み上げてみようと。
がらくたでも、積み上げた上に立てば、今とは違う景色が見えてくると思うからね。

だから、歳を重ねれば重ねるほど、頭でっかちの大人になんかならない方が良いんじゃないかって思ったお話でした。

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